O新京市街(夜)

薄暗い、人通りのない通り。カフェーや書館(娼館のこと)などの怪しげなネオン。煌々と輝く満月が走る梅蘭(25)の姿を照らしている。

ナレーション(以下N)「昭和20年、満州国首都・新京」

何かに追われているかのように後ろを振り返る梅蘭。ぼろぼろのコートの襟を合わせ、顔を隠すようにしながら走って行く。その手の中に握りしめられたガラスの小瓶。

梅蘭(N)「ほんの数日前まで私は、軍の慰安婦としてソ連国境近くの小さな町で働いていました」

梅蘭の目に飛び込んでくる、好看書館と大書した看板。

O好看書館玄関ホール(夜)

二階に続く階段のある、西洋風のホール。扉を後ろ手に閉じ、ほっと一息つく梅蘭。
和服姿の立派な格幅の女将(50代)、奥から出てきて、

女将「あらまあ!梅蘭さんやおまへんか。いやあ、懐かしいわ。ちょうど今、甘粕先生もお見えになっとって、梅蘭さんどしてはるやろって、噂しとったとこなんや」

梅蘭、気が抜けたようにドアに寄り掛かって崩れ落ちる。

梅蘭(N)「私が再びこの新京に戻って来たのは、甘粕先生にある物をお渡しするためでした」

ドアの向こうを、軍靴の足音が走り抜けて行く。緊迫する梅蘭の表情。

Oメインタイトル「新京の月」

*ここより回想(昭和12年)

O好看書館廊下(夜)

障子の向こうから女たちの嬌声が聞こえてくる。

梅蘭(N)「私がはじめて甘粕先生にお会いしたのは、昭和12年のことだったと思います」

障子が開く。

O好看書館座敷(夜)

かなり広い座敷。目隠しをした協和会服姿の甘粕正彦(46)が、和服の女たちの尻を手探りで追いかけまわしている。床には倒れたビール瓶やひっくり返ったちゃぶ台が転がっており、ところどころにビールが池を作っている。

女将の声「先生」

甘粕、尻を追うのをやめて目隠しを外す。開いた障子の向こうに、女将(まだ40代)が座っている。
甘粕、陽気に

甘粕「おお、女将。こっちに来て一緒にやりませんか?」

女将、にこやかに

女将「あてはもう、若い子のようには、ようしまへん。それはそうと、先生に頼みがあるんどすけどなあ」
甘粕「はいはい、何でも言ってください」
女将「実は……この子の水揚げ、お願いできまへんやろうか?」

女将の影から、梅蘭(17)が恥ずかしげに進み出てくる。

女将「先生に水揚げしてもらったいうたら、えらくハクがつきますからな」

甘粕、一瞬困ったような表情を見せるが、すぐ陽気に

甘粕「おっけーです」
女将「ま、先生ったら、そんな敵性語なんぞ使うてよろしいんですの?」
甘粕「構いません」

女将、女たちと一緒にひとしきり笑い、

女将「ほなら梅蘭、しっかり可愛がってもらうんやで」

梅蘭、女将に尻を叩かれて進み出、

梅蘭「お願いします」

頭を下げる。

O好看書館和室(夜)

布団の敷かれた和室。薄暗がりの中、正座している甘粕。障子を閉めた梅蘭、甘粕に向かって手をつき、

梅蘭「……お願いします」

甘粕、大真面目な顔で

甘粕「で、水揚げというのは、どのようにすればよろしいものなのですか?」

梅蘭、顔を上げて、

梅蘭「……は?」

甘粕、照れくさそうに頭をかきながら、

甘粕「いやその、初めての女性といたすというのは、家内を別にすればこれが初めてなもので……どうしたらいいものやら……」

梅蘭、必死に笑いを押し殺しているが、堪えきれずに吹き出す。

梅蘭(N)「私は思わず吹き出してしまいました。娼館なんて嘘の巣窟。私の水揚げは、これで三度目のことでした」

甘粕、むすっとして、

甘粕「私は何か、おかしなことでも言いましたか?」

梅蘭、笑いをこらえながら、

梅蘭「ここは娼館なのですから、なさりたいようにすればよろしいのです」

むすっとしている甘粕と、笑いをこらえている梅蘭。

梅蘭(N)「これが私と甘粕先生との出会いでした。甘粕正彦という人物が、いわゆる大杉事件--憲兵隊が関東大震災のどさくさに紛れ、無政府主義者の大杉栄とその内縁の妻伊藤野枝、さらには7才の大杉の甥をも殺害した事件の主役であることは私も知っていましたが、目の前の甘粕先生は、可愛い照れ屋さんでした」

O好看書館廊下(夜)

振り袖姿の梅蘭、歩いて来る。

梅蘭(N)「どういう訳か私は、甘粕先生のお気に入りでした。先生は満映の理事長を勤められていたのでとても忙しく、滅多に顔は見せませんでしたが、それでも来ると私を指名してくださいました」

O好看書館座敷(夜)

障子を開け、座敷に入ってくる梅蘭。後ろ手に障子を閉め、甘粕の方に向き直り、あっとする。
甘粕と差し向かいで座っているのは、協和会服を着てはいるが、愛新覚羅溥儀(31)である。

梅蘭(N)「私のような芸者風情でも、この人の顔は知っていました。愛新覚羅溥儀--清朝最後の皇帝にして、この満州国の皇帝です」

甘粕、表情を変えずに、

甘粕「梅蘭君、こちらは--そう、プーさんだ」

呆気に取られたままの梅蘭。
X X X
梅蘭、溥儀の横に座り、震える手で酒を注ぐ。仏頂面のままその杯を口に運ぶ溥儀。
甘粕、手酌で飲んでいる。

溥儀「甘粕、貴様、朕をこんなところに連れてきて、何を考えている?」
甘粕「気晴らしをなさりたいと言われたのは、プーさんではないですか」

溥儀、不機嫌そうに杯を呷る。
梅蘭、酒を注ぎながらにこやかに、

梅蘭「プーさん、お酒は楽しく飲むものですよ」

溥儀、きっと梅蘭を睨み付け、杯を梅蘭の顔に向けて投げつける。

溥儀「売女の分際で、朕を愚弄する気か!」

梅蘭、かしこまって平伏する。
甘粕、眉をひそめて、

甘粕「プーさん、いい加減にしてください。ここをどこだとおもってらっしゃるのですか」

溥儀、激昂して立ち上がり、

溥儀「ここは朕の国だ!」
甘粕「ここは遊郭です。どんな肩書きをプーさんがお持ちだろうと、ここの門をくぐれば、一人の男です」

甘粕、梅蘭の方を見て、

甘粕「梅蘭君、ここの流儀でプーさんをもてなして差し上げていただけませんか?」

梅蘭、甘粕の目をじっと見て、決意したように立ち上がり、帯を解き始める。
呆然と梅蘭の裸身が現れるのを見ている溥儀。
甘粕、静かに部屋を出ていく。

X X X

全裸の溥儀、赤子のように体を丸めて布団の上でうずくまっている。
梅蘭、けだるそうに体を起こしながら、

梅蘭「どうかなさいました?」
溥儀「……恐ろしいのだ」
梅蘭「何が?」
溥儀「甘粕だ。あれは人殺しだ。朕も用がなくなったらすぐにでも消されるに違いない……」

梅蘭、溥儀の背中に触れ、溥儀が震えていることに気づく。溥儀の背中を包むように抱き締める梅蘭。

O好看書館廊下(夜)

座敷から身繕いしながら出てくる梅蘭。

甘粕の声「どうも、ありがとう」

梅蘭、声のした方を向くと甘粕が頭を下げている。

梅蘭「先生、私なんかに頭をお下げになっちゃいけません」

甘粕、頭を上げて

甘粕「……陛下がはじめて私を見た時、何と言われたかご存じですか?」

梅蘭、不思議そうな表情。
甘粕、窓の所までゆっくりと歩いて行きながら(梅蘭に背中を見せるようなかたち)

甘粕「これは人殺しではないか。どうして人殺しが迎えに来るのだそう言って、陛下はひどくご立腹でした」

梅蘭、呆然として聞いている。

甘粕「遺憾ながら陛下には現実というものが見えていらっしゃらない。妄想と過去の栄光の間で生きている、可哀想な方です」

梅蘭、微笑んで

梅蘭「先生、ここでは陛下ではなくプーさんですわ」
甘粕「……そうでしたね」

満月に照らされて、微かに微笑んでいる甘粕の横顔。

梅蘭(N)「それが、八年前のできごとでした」

O梅蘭の部屋(夜)
*ふたたび現在(昭和20年)

鏡に向かい、振り袖を着ている梅蘭(25)。自分の袖にいとおしそうに頬摺りする。

梅蘭(N)「久しぶりの肌触りでした。慰安婦として勤めていた五年間、こんな上等な着物はおろか、化粧すらできずに仕事に出ねばならないこともままありました」

鏡に向かい、紅を引いている梅蘭。

梅蘭(N)「ようやく女に戻れたような気分で、私は浮き浮きしていました。しかし、自分のすべきことを忘れることはできませんでした」

険しい表情で袖の中に小瓶を隠す梅蘭。

O好看書館座敷(夜)

窓が開いていて、月の光が差し込んでいる。部屋の真ん中に衝立。
梅蘭、静かに入って来て一礼する。顔を上げるが、甘粕の姿はない。

梅蘭「甘粕先生……?」

衝立の向こうから、

甘粕の声「梅蘭君、ですか」

顔を上気させ、着物の裾を乱した女将(もう50代)がそそくさと出てくる。呆気に取られる梅蘭。
甘粕(54)、顔だけを衝立からのぞかせて

甘粕「もう少し気を利かせてください」

梅蘭、吹き出す。

　　　　　X X X

テーブルを挟んで向かい合う甘粕と梅蘭。テーブルの上に、梅蘭が持参した小瓶が置かれている。
小瓶の中で、蚤が跳ねている。

甘粕「これを、どこで手に入れました?」
梅蘭「ソ連国境近くの町です」
甘粕「そこは、今はどうなっています?」
梅蘭「もう、誰もいません」

顔を伏せる梅蘭。

甘粕「関東軍の731部隊が、あの辺りで何かしているという噂は耳にしていました」
梅蘭「最初はただの流行病だと思っていました。でも、昨日はあそこの家、今日はここの家と、元気だった人がころころと死んで行くので、みんな次第におかしいと思いはじめ、避難の準備をはじめました。そうしたら、あいつらが来たんです」

防毒服に身を固め、武装した兵士たちのイメージ。

梅蘭「街道は全て塞がれていて、無理に通ろうとすれば射殺されました。かといって街道を外れれば砂漠です」

大陸的な砂漠のイメージ。

梅蘭「たまたま町に立ち寄っていた馬賊の方々が、一か八かの砂漠越えを提案しました。女子供が優先され、籤で選ばれた中に、私もいたのです……」

馬に乗った馬賊の背中にしがみついている梅蘭。手の中にガラス瓶。

梅蘭「他の方々がどうなったかはわかりません。私を逃がしてくれた馬賊の方も、関東軍に捕まってしまいました」

梅蘭、きっと顔を上げ、

梅蘭「これを信頼できる方にお渡しするのが、その方に対して、私にできる唯一の恩返しです」

甘粕、しばらく沈黙しているが、小瓶を手に取り、真顔で

甘粕「おっけーです」

ほっと一息つく梅蘭。
と、階段を駆け上がってくる大勢の足音。
はっと身を固くする梅蘭。

X X X

障子が激しい音を立てて開かれ、軍服姿の石井四郎(53)が憲兵A、B(ともに20代)を連れて入って来る。
甘粕、窓に向かい、一人酒を呑んでいる。部屋に梅蘭の姿はない。
石井、甘粕をじろりと睨みつけ、

石井「満映の甘粕正彦理事長か。無類の女好きと聞いておったが、今日は一人か?」

甘粕、石井の視線を意に介さないかのように、

甘粕「……ご用件を承りましょうか。石井四郎軍医中将閣下ともあろうものが、このようないかがわしいところに何の御用ですかな?」
石井「ちょっとした事件があってな。事を大きくしたくないので、こうして私自ら出張ってきたというわけだ」
甘粕「伺いましょう」

顔色一つ変えない甘粕。石井、軽く舌打ちして、

石井「実は、ソ満国境近くのある町の施設から、我が部隊の機密が、慰安婦に偽装したソ連の女間諜の手で盗まれてな」
甘粕「それは一大事ですな」
石井「その間諜は、もとここで女郎をやっていた、梅蘭という女だそうだ」

眉一つ動かさない甘粕。

O押入の中(夜)

指で開けた小さな穴から座敷の様子をのぞき見ている梅蘭。緊張した表情。

O好看書館座敷(夜)

石井「その女、先生とは馴染みだったご様子。もし匿っているのなら、機密もろとも今すぐ引き渡していただきたい」
甘粕「その機密とは、何ですかな?」
石井「……民間人に教える必要はない」
甘粕「その通り、私は民間人です。ですから、あなたの命令を聞く義務もないわけです」

微かに眉をつり上げる石井。

甘粕「私は、一人静かに今宵の月を楽しもうと思っていたのです。あなたはそれを邪魔なさいました。もしこの部屋から何も出てこなかったら、いったいどうやって償っていただけるのですかな?」

石井、ぐっと詰まるが、

石井「……その時は、私も今宵の月見とやらにつき合うことにしよう」

甘粕、微笑んで

甘粕「約束ですよ」

石井、顎で憲兵A、Bに合図する。ためらう憲兵A、B。
甘粕、彼らに向かってうなずく。部屋に入ってくる憲兵A、B。
甘粕、憲兵Aに向かって、

甘粕「君、父上の容態はいかがですか?」

憲兵A、甘粕に敬礼し、

憲兵A「は、先生のご紹介してくださった病院で、手篤い看護を受けております」
甘粕「それは何よりです」

石井、憲兵Aを睨む。慌てて室内の捜索に戻る憲兵A。
甘粕、ふと思い出したように石井に向かい、

甘粕「今、ソ満国境あたりでは、ペストが大流行しているそうですね」

石井、微かに眉をつり上げるが、

石井「そのような事実はない。先生ご自慢の情報網とやらも、あまり信頼できぬ様子だな」

憲兵B、押入れを引き開ける。
縮こまる梅蘭。

憲兵B「石井中将!」

梅蘭、抵抗するが憲兵A、Bに引きずり出される。
石井、いやらしい笑みを浮かべ、

石井「これはどういうことかご説明いただけますかな?甘粕先生」

梅蘭、救いを求めるように甘粕の方を見る。
甘粕、豪快に笑い出す。呆気に取られる一同。

甘粕「いや失敬、失敬。実は私は、隠れんぼが大好きでしてな。こんな子供っぽい趣味がばれると恥ずかしいので、何とかしてごまかそうと思っていたのですが……」
石井「ふざけるなあっ!」

石井、帽子を床に叩きつけ、甘粕のもとに歩み寄る。

石井「敵の間諜を匿うとは、明らかな反逆罪だ。甘粕正彦、貴様という男は、堕ちるところまで堕ちたようだな」

石井、軍刀を抜いて甘粕の喉元に突きつける。

甘粕「中将閣下が間違われるのも無理はありません。あれは梅林と言って、梅蘭の腹違いの妹なのです。一字違いでしたな」

石井、甘粕を睨みつけ、軍刀を喉の皮膚にわずかに食い込ませる。したたる血。梅蘭、目をそらす。
甘粕、ぴくりとも動かない。

石井「オイッ!貴様ら、この反逆者をひっ捕らえろ!」

動かない憲兵A、B。

石井「何をしとるかあ!」

憲兵A、Bためらいがちに、

憲兵A「私の父は、甘粕先生のおかげで命を取り留めたようなものです」
憲兵B「我々憲兵隊員の待遇改善を交渉してくださったのは、甘粕先生でした」

石井、狼狽した様子で

石井「貴様ら、自分たちが何をしているのか、わかっておるのか?これは明らかな大日本帝国、ひいては天皇陛下への反逆だぞ!」

甘粕、静かな声で

甘粕「陛下への反逆をおっしゃるのなら、むしろそれはあなたの方でしょう」
石井「何だと?」

甘粕、ポケットから瓶を出し、

甘粕「憲兵の方々を下がらせてください。聞かれてはまずいのではないですか?」

石井、舌打ちして軍刀をおろし、憲兵A、Bに

石井「おい、その女を連れて、外で待っていろ」
甘粕「梅林は置いて行ってください」

石井、甘粕をにらむ。

甘粕「彼女には知る権利があります」
石井「……女は置いていけ」

出て行く憲兵A、B。

X X X

テーブルの上に置かれた瓶を囲むように座っている三人。

石井「ソ連の参戦は、もはや秒読み段階に入っている。南方戦線に戦力のほとんどを割かれ、弱体化した現在の関東軍に、ソ連の侵攻を支える力は、もうない」
甘粕「そこで、あなたは考えた。どこかの都市に--おそらくはこの新京にソ連軍を誘い込み、ペスト菌を持つ蚤を放って、住民もろとも敵をせん滅する……あの町は、そのためのテストなのでしょう?」
石井「日本を救うためだ!そのためなら私は、どんなことでもしてみせる!」

甘粕、冷ややかに

甘粕「この事件が国際社会に知れわたれば、日本は歴史に消えない汚点を残すことになるでしょう。自国民の上に細菌を撒いた愚かな国として。それこそが陛下に対する最大の反逆ではないですか?」

詰まる石井。甘粕、ひたと石井を見据え、

甘粕「あなたは陛下の名を借りた、単なる殺戮者です」

石井、テーブルの上の瓶をつかみ、テーブルに叩きつけようとする。身をすくめる梅蘭。微動だにしない甘粕。
石井、寸前で手を止め、瓶をポケットにしまい、憎々しげに舌打ちすると、

石井「ここに女間諜、梅蘭はいなかった。それでいいのだな?」

うなずく甘粕。
憎々しげに席を立とうとする石井。甘粕、その背中に向かって、

甘粕「では、約束を果たしていただきましょうか」

石井、怪訝な顔で

石井「約束?」

甘粕、にこっと笑い、

甘粕「何も見つけられなかった時は、月見酒につき合っていただくお約束でした」

甘粕、梅蘭に目線をやる。梅蘭、うなずいて出て行く。

X X X

梅蘭の給仕で、甘粕と石井が呑んでいる。
震えながら石井に酌をする梅蘭。憮然としてその酌を受ける石井。
甘粕、月を見ながら

甘粕「一つ、言い忘れた事がありました」
石井「何かな?」

甘粕、真顔で

甘粕「私は、あなたが嫌いです」

石井、眉をかすかにつり上げ、

石井「国のためにやったことだ。大杉を殺した貴様も、同類ではないのか?」

甘粕、微笑を浮かべ、

甘粕「大杉は、あれはあれで一本筋の通った男でしたよ。あの男を止めるには、心臓を止めるしかなかったでしょうなあ」

甘粕、石井を見据え、

甘粕「あなたなど大杉に比べればちんぴらも同然です」

石井、苦笑して立ち上がろうとする。
甘粕、その背中に向かって、

甘粕「もう一つ、言い忘れておりました。もしこの新京市内に一人でもペスト患者が発生すれば、私はあなたを殺しに行きます」

哄笑しながら立ち去る石井。
甘粕、梅蘭に自分の杯を渡し、酒を注ぐ。

甘粕「梅蘭君、あなたは早く日本に帰った方がよいようです。手配しておきますから、明日の汽車で大連に向かい、そのまま日本に帰ってください」

梅蘭、頭を下げて受け取った杯を飲み干す。

梅蘭(N)「その時は、それは関東軍の報復を避けるための処置だと思っていました」

梅蘭の目に、微かに涙が光っている。

梅蘭(N)「ソ連軍の満州侵攻のニュースを聞いたのは、日本に帰っていくらも経たないうちのことでした--」

O旧満映撮影所、外観

玄関の上のバルコニーに立っている甘粕。

梅蘭(N)「昭和20年8月15日--終戦と共に満州国は地図の上から姿を消しました。甘粕先生が自決されたのは、その五日後のことだったといいます」

O満映、理事長室

机の上に突っ伏して死んでいる甘粕。
その脇に走り書きの遺書。
『みなんしっかりやってくれ　左様なら』

梅蘭(N)「甘粕先生は最後まで、満州に取り残された人々のことを心配していたといいます」

(完)

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