李香蘭のフィルム(仮)
※プロット形式です
満映の理事長、甘粕正彦の元に退社を申し入れに赴いた李香蘭。だが、甘粕は意外な申し出をする。
甘粕「最後に、私の私的なフィルムに出演してもらえませんか」
渡されたシナリオを見て驚く李香蘭。甘粕自身の手になるそのシナリオは、大杉事件を題材としたものであった。しかも甘粕役は甘粕自身が演じ、李香蘭の役柄は伊藤野枝、大杉と共に殺された大杉の内縁の妻である。
これは、今まで過去を決して語ろうとしなかった甘粕の告白なのか、それとも--
とまどう李香蘭を尻目に、撮影は開始される。
甘粕「なんとハイカラな女性なんだらう--大杉の脇に毅然として座っていたのは、私の始めて出会う種類の女性であった」
甘粕のモノローグで始まったその物語は、明らかに恋の物語であった。自らの手で殺害するために連行してきた野枝に激しく惹かれていく甘粕。
甘粕「甘粕君、一つ忠告しておかう。あいつは魔性の女だ。あいつはイデオロギーなんてもっちゃいない。その時々の男に合わせてカメレオンのように姿を変える--いや、その男の全てを喰い尽くすんだ。その証明が僕さ。今じゃからっぽ、何も残っちゃいない。君も精々気をつけたまえよ」
言い残し、処刑される大杉。野枝は甘粕に不思議な媚態を見せはじめる。
野枝「私は無政府主義者なんかじゃあない。大杉の女だっただけ。その大杉も今はいない」
さらに、6才の大杉の甥、宗一を殺すようにほのめかす野枝。ためらう甘粕の目の前で、野枝は自らの手で宗一を絞殺する。驚く甘粕に、
野枝「気取ってるんじゃないわよ、あんたも人殺しの癖に。人殺しと人殺し、これほど似合いの二人もいないんじゃなくて?」
愛情とも憎悪ともつかない激情に捕らわれて、野枝の首に手をかける甘粕。甘粕を抱き締めながら、微笑んで息絶える野枝。
古井戸に野枝の遺体を抱えて歩いていく甘粕のモノローグ。
甘粕「彼女はおそらく疲れていたのでしょう。あまりにも激しい、彼女自身の生き様に。彼女は、自分が伊藤野枝であることに疲れ果てていたのだと思います。私はこのことを、誰にも語りはしないでしょう。けれども、毎夜のように夢に見るのです。私が首に手をかけた時の、あの野枝さんの顔を。彼女は微笑みながら、私にこう語りかけるのです。『ああ、やっと私のところまで降りてきてくれる人がいた』と」
撮影が終わり、李香蘭は
甘粕「長い間、ごくろうさまでした」
という言葉と共に、そのフィルムを預かる。
李香蘭「これをどうすればいいのですか?」
甘粕「あなたのしたいようにしてください」
フィルムに火を点ける李香蘭。
甘粕「ありがとう。今日は夢を見ないで眠れそうです」
部屋を出ていく李香蘭。無言で涙を流し続ける甘粕--。
(完)