Oアバンタイトル
満州国の地図にナレーションが被さる。
ナレーション(以下N)「かつて、中国東北部に、満州国と呼ばれた国家があった」
正装で座っている溥儀。
N「清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀を皇帝に据え、『五族協和』『王道楽土』のスローガンのもとに建設されたこの国の実態は、大陸進出を狙う日本の造り上げた傀儡国家であった」
満映の建物。玄関の上のバルコニーに人影。
N「満州経営の一環として、人民に対する宣撫工作などを目的とした国営の映画会社『満州映画協会』、通称『満映』が設立された」
バルコニーの人物、アップに。協和服姿の甘粕正彦(54)。
N「その理事長を勤めたのが、元憲兵大尉、甘粕正彦。満州国の裏の権力者として、『夜の関東軍』と呼ばれた男である」
何かを見つめている甘粕。
Oメインタイトル
O満映のスタジオ内
本来はがらんとした映画のスタジオであるが、飾り付けられ、パーティ会場になっている。『《夜来香小夜曲》完成記念』の垂れ幕。
大勢の俳優・スタッフ等が酒を飲んだり踊ったり、思い思いに楽しんでいる。梅蘭(N)「満映が日本の国策会社であり、我々満州人にしてみれば屈辱的な映画を多数作っていることは私も知っていました。そのことを承知で私が満映に女優として入社したのは、生活のためです。『よい待遇を与えれば、必ずや良い仕事をするものです』そう言って満州人の給料を引き上げたのは、他ならぬ甘粕理事長でした。もちろん日本人との間にはあからさまな給与格差がありましたが、満映は他のどんな会社よりもよい待遇を私たちにしてくれていました」
チャイナドレス姿の梅蘭(17)、満映の重役(40代、日本人)に後ろから抱きすくめられ、抗がっている。重役、酔っている様子。
梅蘭「お願いです、放してください!」
重役「……君の演技には前々から目をつけておったのだよ」周囲の人間、ニヤニヤと見ている。
梅蘭「放して!」
梅蘭、重役の頬を一発張る。重役、手を梅蘭から離す。会場を沈黙が支配する。
我に返り、青ざめる梅蘭。重役「この……満州人の分際で!」
梅蘭を拳で殴る重役。倒れる梅蘭。重役、梅蘭にのしかかり、首根っこを掴んで持ち上げようとする。
と、重役の頭に、後ろからビールが浴びせられる。重役「誰だっ!」
振り向く重役。空のコップを手に立っているのは甘粕である。
重役、青ざめて重役「り……理事長」
甘粕「女優は酌婦ではありません」甘粕、全く表情を動かさずに淡々と告げる。腰を抜かし、その場にへたりこむ重役。
数人の女優が梅蘭を助け起こす。
再び音楽が流れ始め、甘粕、きびすを返す。梅蘭「待ってください!」
甘粕、立ち止まるが振り返りはしない。
梅蘭「私は満州人です。でも、日本人と同じか、それ以上の仕事をしたつもりです。なのに何故、日本人の半分の給料しかいただけないのですか!」
周囲の人間、青ざめている。梅蘭を支えている女優たち、梅蘭を止めようとするが梅蘭は構わずに、
梅蘭「ここは『五族協和』の国ではなかったのですか?」
会場中が静まり返る。
甘粕、梅蘭に背を向けたまま、甘粕「満州国は日本人が、日本のために造った国なのです。ですから、日本人と満州人の間に、平等などということはあり得ません」
立ち尽くす梅蘭。甘粕、歩き出すがふと立ち止まり、
甘粕「梅蘭君、君の演技は素晴らしかった。これからも、その調子で頼みます」
歩み去る甘粕の背中に、梅蘭のイメージが重なる。
和服の女をサーベルで刺し殺す軍服姿の甘粕のイメージ。梅蘭（N）「甘粕理事長が関東大震災のどさくさに紛れ、無政府主義者の大杉栄とその内縁の妻伊藤野枝、さらにはまだ7才の大杉の甥までも殺害したというのは、満映では知らぬもののない--けれども誰一人として口にすることのない噂でした。甘粕理事長はその公正さで慕われていましたが、同時に誰よりも恐れられてもいたのです」
O梅蘭の部屋(夜)
家具のほとんどない、真っ暗ながらんとした石造りの部屋。
梅蘭、扉を開けて入ってくる。と、懐中電灯の光が梅蘭を照らす。咄嗟に目を覆う梅蘭。
懐中電灯を持って立っているのは、関東軍の制服を着た3人の兵士である。兵士A「満映の女優、梅蘭だな。スパイ容疑で連行する!」
梅蘭、逃げようとするが取り押さえられる。
O車の中(夜)
目隠しをさせられた梅蘭、両脇を兵士に挟まれて後部座席に座っている。
梅蘭(N)「関東軍が満映のことをあまり快く思ってはいないらしいという噂は、私も耳にしていました。満映に勤める満州人や中国人がある日突然行方不明になり、そのまま返ってこないなどということは、日常茶飯事だったのです」
O同徳殿、謁見の間(夜)
豪華な大広間である。赤い絨毯が道のように敷き詰められていて、その真ん中に目隠しをされた梅蘭、左右の兵士に支えられて立っている。
兵士、梅蘭の目隠しを取る。息を呑む梅蘭。
10メートルほど離れた玉座から梅蘭を見おろしているのは、愛新覚羅溥儀(39)である。梅蘭「こ、皇帝陛下!」
梅蘭、床に伏せ、額を床にすりつける。
梅蘭(N)「満州国の実権は関東軍が握っていて、溥儀皇帝は傀儡にすぎない--満州人なら子供でも知っていることでした。しかしそれと皇帝に対する崇敬の念は別です。竜顔を直接拝するなど、思っても見なかったことでした」
溥儀、冷ややかな目で梅蘭を見おろし、
溥儀「そなた、甘粕を知っているな?あれは……人殺しだ」
溥儀、熱に浮かされたような目。突然立ち上がり、
溥儀「この国は私のものだ!いつまでも人殺しの自由にさせておいてよいものか!」
梅蘭、溥儀を前に呆然としている。と、
石井四郎(52)、謁見の間に入ってくる。石井「陛下、後は私から説明いたします」
溥儀「む……」座り直す溥儀。
石井「甘粕めは民間人でありながら満州国の政治に不当に容喙し、陛下の尊厳を著しく傷つけ、王道楽土の建設を阻害してきた。そればかりか、貴奴めは、陛下の暗殺までも企んでおるのだ」
ただただ驚いている梅蘭。石井、何かに取り憑かれたように滔々とまくしたて続ける。
石井「陛下はこの現状をいたく嘆かれ、ここに『甘粕を排除し、もって満州国の政治をその理想である五族協和の王道楽土に復せしめる』旨を決断された。我々、関東軍第731部隊はこの陛下の主旨に賛同し、こうして協力することになった次第だ」
石井、梅蘭のもとに歩み寄ってくる。兵士たち、梅蘭を立たせる。
石井「陛下の御為だ。甘粕を暗殺せよ」
梅蘭「む、無理です!」石井、するどいビンタ。梅蘭、倒れそうになるが左右の兵士が倒れさせない。
石井「安心しろ。貴様でもできることだ。貴様は命を捨てさえすればよい」
石井、ポケットから小瓶を取り出す。
石井「この中には、毒ガスが入っておる。一部屋の中の人間を、皆殺しにできるくらいの量だ」
息を呑む梅蘭。石井、梅蘭の顔をなめ回すように見て、
石井「貴様は甘粕と同じ部屋に入ればよい。色仕掛けなら貴様の得意とするところであろう。そして、その瓶の蓋を開ければよいのだ」
梅蘭、救いを求めるように溥儀の方を見る。冷たい目で梅蘭を見おろしている溥儀。
石井「陛下の御為である!」
うなだれる梅蘭。
O満映、廊下
緊張した面持ちで歩く梅蘭。
梅蘭、ポケットの中で小さな瓶を握りしめている。
O満映、理事長室
甘粕が窓に向かって立っている。
O満映廊下、理事長室前
意を決したようにノックする梅蘭。
甘粕の声「どなたですか?」
息を呑む梅蘭。
梅蘭「梅蘭です。お話があってうかがいました」
甘粕の声「お入りなさい」梅蘭、ドアを開ける。
O満映、理事長室
甘粕、窓を向いて立っている。
甘粕「お話をうかがいましょう。ただし、三分間だけです。要点だけ話してください」
梅蘭、ポケットの中の瓶を握りしめ、
梅蘭(N)「陛下のご命令に逆らうことなど、私にはできませんでした。しかし一方で私は、満州人に対しても公正たらんとする甘粕理事長の人柄にも惹かれていました」
梅蘭、黙っている。
甘粕「用がないようでしたら、お引きとりください。私は忙しいのです」
梅蘭「理事長が、皇帝陛下の暗殺を企んでらっしゃるという噂を耳にしました」甘粕、窓ガラスに映る梅蘭の姿を見ている。
甘粕「もし陛下が、日本のためにならないことをなさろうとするようなら、そういうこともあるかもしれません」
ショックを受ける梅蘭。
梅蘭「理事長は夕べ、この国は日本のものだとおっしゃいましたね」
甘粕「その通りです」梅蘭、決意したような表情。ポケットから瓶を取り出し、
梅蘭「……違います。この国は、私たちのものです」
蓋を開けようとする梅蘭。甘粕、梅蘭の方を向き、
甘粕「その瓶の中身は何ですか?」
梅蘭「毒ガスです。理事長と私くらいは確実に殺せます」
甘粕「死ぬのは構いませんが、私を殺しても、この国はあなたたちの手には戻りません」
梅蘭「関東軍の731部隊が、この国を皇帝陛下にお返しするために動いています。あなたが死ねば、この国は我々のものになります」甘粕の目が冷たく光る。
甘粕「731部隊ですか。なるほど。しかし、その中身は本当に毒ガスですか?」
はっとする梅蘭。
甘粕「731部隊は、細菌戦--毒ガスや疫病を敵地に撒く研究をしているそうです。仮にそれが、ペスト菌だったらどうしますか?」
梅蘭、あとじさる。
甘粕「二、三日で私は死にます。あなたも死ぬでしょう。それから満映の職員が次々に死に--新京の大勢の人々が死にます。日本人も、満州人も」
梅蘭のイメージが、甘粕にオーバーラップする。
O梅蘭のイメージ
死に絶えた新京の街並み。そこかしこに死体が転がっている。
その中を行進していく、ガスマスクをつけた日本兵。甘粕の声「それでも、その蓋を開けますか?」
O満映、理事長室
甘粕、ただ立って梅蘭を見つめている。
梅蘭、後じさり、扉にぶつかる。扉にもたれかかるように崩れ落ちる梅蘭。
甘粕、ゆっくりと梅蘭に近づき、瓶を奪い取る。甘粕「職員に余計な動揺を与えたくありません。このことは、黙っていてください」
やっとのことでうなずき、這うようにして理事長室を出て行く梅蘭。
梅蘭(N)「あの時、甘粕理事長の生死を握っていたのは、確かに私でした。けれども、武器一つもたず、声さえも荒げない甘粕理事長に、私は完全に気圧されていました。『大杉殺しの甘粕』--一見穏やかな甘粕理事長がその奥に秘めたものを、私は垣間みたような気がしました」
O満映、スタジオ入口
人一人通れるくらいに開いた鉄の扉に『撮影中』の札がかかっている。
甘粕、中に入っていく。
O満映、スタジオ内
日本兵の扮装をした男優と梅蘭が手を取り合っている様子を、カメラが撮影している。周りにはスタッフ多数。
甘粕が入ってくる。はっと気づく梅蘭。甘粕「前々から皆さんの希望していた第二撮影所の建物のめどがつきました。今から下見に行きます。正面玄関に車を回してありますから、皆さんも来てください」
一同、歓声をあげてスタジオを出て行く。梅蘭も一緒に行こうとするが、甘粕、その肩を叩き、
甘粕「あなたは私の車に一緒に乗ってください」
背を向けて歩き出す甘粕。躊躇するが、ついていく梅蘭。
O甘粕の車内
後部座席に甘粕と梅蘭が並んで座っている。いつも通りの甘粕と、青ざめて甘粕の顔をうかがう梅蘭。
甘粕「あの瓶の中身ですがね」
どきりとする梅蘭。
甘粕「ノミ、でした」
梅蘭「ノミ?」
甘粕「そう、あの血を吸うノミです」それきり口を閉ざす甘粕。怪訝そうな顔の梅蘭。
O同徳殿、謁見の間
入ってくる甘粕と梅蘭。
溥儀、椅子に座っている。溥儀「甘粕か。朕は入ってよいと言った覚えはないぞ」
甘粕「陛下のお命を狙うものがいると聞き、こうして参上いたしました」溥儀、動揺して、
溥儀「だ、誰だそいつは!」
甘粕、懐から銃を出す。息を呑む梅蘭。
甘粕「私です」
椅子からずり落ちる溥儀。慌てて逃げようとするが、階段をすべり落ち、甘粕の足下に倒れる。
溥儀「貴様、朕を殺す気か!」
甘粕「例の計画を諦めていただけないのであれば」
溥儀「例の計画だと?」甘粕、梅蘭に視線をやり、
甘粕「この娘を使って、新京にペスト菌を撒こうとなさいましたね?」
溥儀「し、知らん!……それは石井が勝手にやったことだ!……朕は御輿にすぎん、かつぎ上げられただけだ!」
甘粕「石井中将は二度と新京に現れないでしょう」甘粕、撃鉄を起こす。溥儀、怯えきった表情で、
溥儀「ここは朕の国だ!民はみな朕の物だ!どうしようと、朕の勝手だ!」
ショックを受ける梅蘭。
甘粕「いいえ、この国は日本のものです。そして、この大地は--」
甘粕、梅蘭に視線をやり、
甘粕「ここに住む民のものです。陛下にも我々にも、それを汚す権利はありません」
甘粕、銃を溥儀の手に渡し、背を向けて歩き出す。
甘粕「皇帝として死にたいのでしたら、どうぞお一人で」
溥儀、手の中の銃を不思議そうに見つめているが、やおら体を起こし、甘粕の背中に狙いをつける。が、手が震え、銃を取り落とす。
甘粕「行きましょう、梅蘭君」
梅蘭、甘粕の後に従うが、ちらりと溥儀を見る。
うずくまって涙を流している溥儀。
O731部隊新京連絡所前
甘粕の車と、映画スタッフを乗せた二台のトラックが門の前に停車する。
『関東軍第731部隊新京連絡所』の文字が、門に彫り込まれている。
甘粕と共に車を降りた梅蘭、それを見てはっとする。
O同、入口
二人の歩哨が入口の前で銃を構えている。甘粕、歩哨のもとに歩み寄り、
甘粕「石井中将にお目にかかりたい」
歩哨「貴様、何者だ?」
甘粕「満映理事長、甘粕正彦と言えばおわかりになると思います」歩哨、はっとして建物の中に飛び込んでいく。
歩哨の後を追うようにして建物に入っていく甘粕。もう一人の歩哨が慌てて止めようとするが、甘粕がちらりと見るとそのまま下がる。
甘粕、思い出したように振り返り、甘粕「梅蘭君、一緒に来てください」
はっとして甘粕の後を追う梅蘭。
ぽかんと見ている満映スタッフ。
O同、石井中将の部屋
デスクに座っている石井四郎。その前で歩哨が敬礼して報告している。
石井「何、甘粕だと!」
ドアが開く。はっと目をやる石井。甘粕と梅蘭である。
石井「甘粕、それに女!」
甘粕「預かりものを返しにうかがいました」甘粕、ポケットから瓶を出し、蓋を開けて逆さに振る。中からノミが飛び出す。
石井「わああああっ!」
石井、机や椅子をひっくり返しながら飛びすさり、窓から逃げようとする。
呆然と見ている梅蘭と歩哨。甘粕「満映の敷地内で捕まえたノミです」
我に返る石井。
甘粕「本物は処分させていただきました」
石井「貴様あ!」
甘粕「ここは私の街です。ペスト菌を持ったノミなど、撒かれては困ります」はっとする梅蘭。石井、こめかみをぴくぴくさせながら、
石井「か……関東軍に逆らう気か!」
甘粕、冷たい目で石井を見据える。
甘粕「では、言わせていただきましょう。あなたの実験は、天皇陛下の名と、日本の誇りを汚しています」
詰まる石井。
甘粕「日本は人体実験を行った国として、歴史に汚名を残すことになるでしょう」
石井「ソ連を倒すためだ!日本の勝利のための研究だぞ!」
甘粕「大地を汚しての勝利などありません」
石井「どこの国もやっていることだ!」
甘粕「ならば、それを行わないことこそが、日本の神国としての誇りでしょう」石井、黙る。
甘粕「この建物は、満映が第二撮影所として接収します。一週間以内に退去してください」
石井「貴様!何の権利で……」
甘粕「話は終わりです」甘粕、立ち去ろうとして足を止め、石井に背中を向けたまま、
甘粕「一つ、言い忘れました。もしこの新京に一人でもペスト患者が発生したら--」
甘粕の背中に気圧される石井。
甘粕「あなたを殺しに行きます。どこに逃げても、隠れても、見つけだして殺します。必ずです」
石井、恐怖に顔をひきつらせてへたりこむ。
O甘粕の車内
後部座席に並んで座っている甘粕と梅蘭。
梅蘭「私、理事長の事を誤解していました」
甘粕「あなたは何も誤解していません」梅蘭、きょとんとした顔をする。甘粕、表情一つ変えずに
甘粕「私は、人殺しです」
ぞっとする梅蘭。
O満映、スタジオ内
梅蘭主演の映画の撮影風景。
梅蘭(N)「私はそれからも、満映の女優として働き続けましたが、甘粕理事長と言葉を交わす機会は、あれきり訪れませんでした--」
Oエンディング
満映入口の上にあるバルコニーに立っている甘粕。
N「甘粕正彦はその後も満映の理事長として辣腕を振るい続けたが、終戦の数日後に服毒自殺を遂げた。甘粕を慕う人は満州人や漢人にも多く、葬儀の参列者は三千人を超え、葬列は1キロの長さに及んだと言う」
満映撮影所の全景。
N「満映の設備その他は平和裡に満州人のスタッフに引き渡され、帰国を待つ日本人の指導のもと、東北電影として中国の映画界の発展に寄与した--」
(完)