第二章「強くなりたいがか！」


・龍馬の部屋
寝転がって天井をぼーっと見上げている龍馬。
N「母の死から、3ヶ月が過ぎようとしていました。だが、龍馬は未だその悲しみの中から抜け出してはいませんでした--」

・龍馬の回想
一家揃って食事をしている。何かの祝い事らしく、膳の上にはお頭つきの魚。
龍馬、箸を手に取ろうとしない。
幸「どうしたのです、龍馬」
ぼろぼろと泣き出す龍馬。
龍馬「お魚が……可哀想です」
幸「……そうね。お魚は可哀想ね。でも、あなたが食べてあげなかったら、もっと可哀想ではないですか？」
龍馬「でも……」
幸「では、お米や野菜は可哀想ではないのですか？彼らも動かないだけで、生きていることに変わりはないのですよ」
龍馬「……」
幸「いいですか、龍馬。人間は、生き物を食べないと生きていけない生き物なのです。だから――せめて、人と人とは争わないようにしなくてはいけません」
龍馬「でも、でも……」
幸「お前は優しい子ですね。その優しさを、忘れてはいけませんよ」

・龍馬の部屋
天井を見上げる龍馬の両目から、涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。

・龍馬の部屋の外
襖の中から泣き声が聞こえている。
襖をがらっと引き開ける手。
うずくまって泣いている龍馬。
乙女「龍馬!母上が死んでもう三月じゃぞ！塾にも行かんと、いつまで泣いちょるつもりか！」
真っ赤な目で乙女を見上げる龍馬。
乙女「今日は新しい母上も来る日じゃと言うに……来い、龍馬！性根を叩き直しちゃる！」

・庭
雨が降っている。
乙女に竹刀で打ち据えられる龍馬。しかし龍馬は無抵抗である。
乙女「どうした、龍馬！なぜかかってこんかあ！」
龍馬、からりと竹刀を投げ捨てる。
乙女「……どういうつもりじゃ、龍馬？」
龍馬「姉さんにゃ、俺の気持ちはわからんぜよ」
走り去る龍馬。
その後ろ姿が、雨に煙って消える。

・川辺
雨の中、川にざぶざぶと入って行く龍馬。通行人が見とがめて
通行人「坊主、この雨の中、傘もささんと何やっとる」
龍馬「これから泳ぐきに、濡れるのは一緒じゃ」
泳ぎはじめる龍馬。
あきれ顔で去っていく通行人。

・泳ぐ龍馬
泳ぐ龍馬。
龍馬「(内心)姉さんみたいな、強くて何でもできる人には、わしみたいな弱虫の気持ちはわからんぜよ」
その力が次第に弱まって行き――流れに呑まれる。
流される龍馬に近づいてくる舟影。

・小舟の上
はっと息を吹き返す龍馬。
伊与の声「あなたが、坂本家のよばれたれですね」
龍馬、起きあがりながら
龍馬「おばちゃんは……」
いきなり頬を張られる龍馬。
伊与「あなたは命を助けられたのだから、まずはお礼を言うべきでしょう」
龍馬「……ありがとう」
伊与「……しばらく休んでいなさい。ついでですから、家まで送ってあげます」
龍馬「わしの家を知ってるがか？」
伊与「あなたは才谷屋の龍馬さんでしょう？」
驚いてうなずく龍馬。
伊与「（微笑んで）……私は、今からあなたのお家にお嫁入りに行くところなのですよ」
驚く龍馬。
伊与「私が、今度あなたの母親になる伊与です」
N「八平の再婚相手として、廻船問屋を商っていた川島家から入ってきたのがこの伊与です。龍馬や乙女には継母になります」

・食事中
龍馬、伊与、乙女が食事をしている。
乙女、時々伊与に敵意のこもった視線を送るが、平然と受け流す伊与。
龍馬、例によってぼろぼろとご飯をこぼしながらご飯を食べている。
伊与、箸を置いて立ち上がると、龍馬に歩み寄り、その頬をひっぱたく。
伊与「ご飯を食べる時は、ご飯のことだけ考えていなさい」
と、膳を取り上げる。ぽかんと口を開けて見上げる龍馬。
伊与「食事が終わるまで、そこで正座していなさい」
膳を持ち去ってしまう伊与。うなだれて正座している龍馬。
乙女、口を尖らせて
乙女「母上！いくらなんでも、厳し過ぎはしませんか！」
伊与「あなた方が今まで甘やかしすぎたのです」
何事もなかったかのように食事を続ける伊与。むっとする乙女。

・龍馬の部屋
N「それから数日後のことです」
夜中に目を覚ます龍馬。はっとして布団をはぐと、
龍馬「……あーあ」
布団はおねしょでびしょ濡れである。
　　X　　 X　　 X
布団を抱えて廊下に出る龍馬。きょろきょろと左右を見回し、誰もいないのを見定めてほっとする。
伊与の声「……龍馬さん」
ぎくっとして飛び退く龍馬。背後に立っている伊与。首をすくめる龍馬だが、
龍馬「今日は……叩かないの？」
伊与「……お風呂に行きますよ」

・風呂
龍馬は落ち着かなげに湯船につかっている。龍馬の下帯を洗っている伊与。
龍馬「……何故叩かないのですか?」
伊与「叩いて欲しいのですか?」
口をつぐむ龍馬。伊与、くすりと笑って
伊与「よばれは叱って直るものではないですからね。叱って直るものなら叱りますが、そうでないものを叱ろうとは想いません」
龍馬、はじめは驚き――やがて、ほっとした表情で伊与を見つめる。


・川の上
伊与が小舟を漕いでいる。龍馬と乙女も乗っている。
N「この頃、龍馬と乙女は度々、伊与の実家である種崎の川島家に船で遊びに行っていました」
龍馬は伊与にぴったりとくっついている。それを見てむっとしている乙女。

・川島家
猪三郎が世界地図を持って出てくる。
N「伊与の父、川島家当主、猪三郎。『ヨーロッパ』とあだ名されていた、西洋通だったと伝えられています」
世界地図を龍馬に見せる猪三郎。
猪三郎「どうじゃ。これが世界地図じゃ」
興味津々の龍馬。
龍馬「土佐はどこがか?」
猪三郎「ここじゃ」
指さしたのはオーストラリア。
猪三郎「ここが江戸」
中国の辺りを指さす。
猪三郎「薩摩はこのへんじゃ」
アフリカを指さす。
N「龍馬の誤解が解けるのは、だいぶ先のことになります」

・庭
乙女がたたずんでいる。
乙女「（内心）くっそう、あの女、父上ばかりか龍馬までもたぶらかしよって……」
と、
伊与の声「お待たせしました」
たすきがけの伊与、薙刀（練習用）を二本持って出てくる。
乙女「は、母上……?」
伊与「あなたも薙刀をよく遣うそうですね。一度お手合わせしたいと思っていました」
乙女に薙刀を手渡して、自分も構える伊与。呆然としている乙女。
伊与「私を打ちまかすことができたら――龍馬さんをあなたにお返ししますよ」
乙女、かっとして打ちかかっていく。
二人の打ち合いは互角である。
が、ついに乙女の手から飛ぶ薙刀。慌てて拾おうとする乙女の喉元に、伊与の刃先が突きつけられる。
ふてくされたように、どっかとその場に座り込む乙女。
伊与「あなたの打ちこみは力任せ過ぎます。それでは刃先は相手には届きませんよ」
乙女「……何がおっしゃりたいのですか」
伊与｢ご自分でもおわかりでしょう？」
かっとして殴りかかる乙女だが、軽くいなされる。
伊与「龍馬さんには龍馬さんのやり方があるのです。あなたのやり方を一方的に押し付けるだけではどうにもなりませんよ」
立ち去る伊与。乙女、その場にうずくまって、悔し涙を流している。
と、庭に出てくる龍馬。
龍馬「……乙女姉さん？」
乙女が泣いているのに驚いた龍馬、大声で
龍馬｢誰か、乙女姉さんが病気じゃ！」
乙女、慌てて
乙女「こ、これ、龍馬！わしは元気じゃ！」
龍馬、ほっと胸をなでおろして、
龍馬「よかったがか。乙女姉さんが泣いちょるとこなんぞ、初めて見たきに」
乙女「……わしを何じゃと思うちょった」
むくれる乙女。だが、龍馬が真剣に感心している様子を見て、思わず吹き出す。
龍馬「今度は笑った、笑ったぜよ」
乙女「……のう、龍馬。わし、そんなにおまんにむくれた面ばかり見せちょったかのう」
龍馬「うん。本物のお仁王様かと思うちょった」
大笑いする二人。
Ｎ「この日を境に、龍馬と乙女、乙女と伊与の間は、少しずつ打ち解けていきました」

・坂本家の庭
竹刀を手に龍馬を追いかけ回す乙女。逃げ回る龍馬。
龍馬「姉さん、わしゃ剣術は嫌いじゃけん、もう勘弁しちくり！」
乙女「いいや勘弁せん。塾にも行かん、剣術も習わんでは、侍の子は勤まらんからのう」
龍馬「わし、乙女姉さんを殴るなんてひどいことようせんわ！」
乙女「ぬかせ！殴れるもんなら、殴ってみいや！」
と龍馬、塀の隙間からこちらをのぞいている影に気づく。

・坂本家、塀の外
のぞきこんでいる以蔵。
以蔵「（内心）くっそう、何であんな弱虫が竹刀ば持ってて、俺は棒っきれしか持てんのじゃ……」
龍馬の声「何してるがじゃ？そげなところで」
以蔵、驚いて振り返る。龍馬が立っている。走って逃げる以蔵。
龍馬「待つがじゃ！」
走って追う龍馬。

・町中
走って逃げる以蔵と、追う龍馬。
と、以蔵が誰かにぶつかって、ぶつかった相手もろとも倒れる。
以蔵「気をつけろ！こん……」
驚く以蔵。ぶつかった相手は堀内である（刀を差している）。
掘内、自分にぶつかった相手が以蔵であることに気づいて、
堀内「（にやりとして）ほほう。足軽の子の分際で、上士の子である俺を転ばせるとは、いい度胸だな」
堀内、刀に手をかける。じりじりと後じさる以蔵。
堀内「下士が上士に無礼をはたらいたならば、無礼討ちにしても構わないという藩法は知っているな」
刀を抜いて構える堀内。以蔵、棒っきれを構える。
追いついてきた龍馬、その様子を見てあっとする。
堀内「（鼻で笑って）……ふふん。その棒っきれで刀に立ち向かう気か？」
じりじりと間合いを詰める堀内。その顔には薄ら笑いが浮かんでいる。
以蔵、やけっぱちで棒っきれを堀内に打ち込もうとする--が、堀内は刀で受け、棒っきれは真っ二つになる。
堀内「（にやにやと）上士に刃向かうか……」
ついに塀に追いつめられる以蔵。堀内、刀を振り上げる。
と、龍馬が横合いからその堀内に体当たり！堀内、倒れた拍子に刀を取り落とす。
堀内「な、何を……」
龍馬、曖昧な笑みを浮かべる。かっとなる堀内。
堀内「貴様、郷士の分際で……」
龍馬を殴る。殴られてよろよろと後退する龍馬。
堀内「お前ら、二人とも無礼打ちだあ！」
と、腰に手をやり、刀を落としたことを思いだす堀内。きょろきょろと見回すと−−以蔵がその刀を拾って構えている！
以蔵「……いっぺん、本当に人を斬ってみたかったぜよ」
不気味な笑みを浮かべて、堀内に近づく以蔵。じりじりと下がる堀内。
と、二人の間に割り込む龍馬。
以蔵「そこどけ、龍馬！その上士風吹かす餓鬼に、思い知らせたるんじゃ！」
顔を引きつらせる堀内。
以蔵「おまえも恨みはあるじゃろう！」
龍馬、しばしためらって
龍馬「わしもこいつは大嫌いじゃ。じゃが……」
龍馬、堀内を殴る。殴られた堀内、狼狽して
堀内「な、何をする！」
龍馬「上士も下士も、殴られたら同じに痛いがじゃ！なしてわからん！」
龍馬、以蔵に向き直り、
龍馬「……これで勘弁してやっちゃもらえんかのう」
以蔵、地面に唾を吐いて、刀を投げ捨てて立ち去る。
龍馬、堀内の方を振り向く−−と、堀内、下駄で龍馬の顔を殴る。鼻血を噴いて倒れる龍馬。
堀内「貴様、生意気だぞ！郷士の分際で、このわしに意見するか！」
馬乗りになって龍馬を殴る堀内。殴られ続けるが、泣かない龍馬。

・坂本家
ぼろぼろの姿で帰宅する龍馬。と、乙女が飛び出してくる。
乙女「龍馬！ようやった！」
龍馬を押し倒さんばかりの勢いで抱きすくめる乙女。龍馬、唖然として
龍馬「乙女……姉さん?」
乙女「話は聞いたぞ！上士の息子じゃろうが何じゃろうが、あげな奴はくらわしてやるに限るわ。さすがにおんしは武士の子じゃ！」
八平の声「……龍馬」
奥から八平と伊与が出てくる。無言で龍馬に歩み寄る八平。
龍馬「……父上？」
無言で龍馬の頬を張る八平。
龍馬、ぺたんと尻餅をついて呆然としている。
乙女「父上！何をなさいます！」
八平「……郷士の子が上士の子に向かって手を上げるなど、許されることではない。今回は子供同士の事でもあり、格別のご処分はないとのことだが、二度目はないぞ」
乙女「ことの理は龍馬にあります！」
八平「……世の中は、必ずしも理非で動いている訳ではない」
乙女「……え？」
黙って奥へと消えていく八平。
伊与「世の中には、正しいことを為したものを罰せねばならぬことがままあるものです」
龍馬と乙女、黙って聞いている。
伊与「そういう時は、胸を張って叱られなさい。それが、叱らねばならぬ立場の者に対する礼儀です」
立ち去る伊与。龍馬、しばし立ちつくしているが、
龍馬「……乙女姉さん。わしに剣術を教えてくれんか？」
伊与「（驚いて）……え？」
龍馬「わし……強くなりたいがか」
乙女を見上げる龍馬。
N「それから7年が過ぎました」

・江戸、千葉道場
防具をつけた二人が竹刀を構え、向かい合っている。
体の小さい方はちょこまかと動いて隙をうかがい、大きい方は茫洋として立っている。
小さい方、飛び込みながら面を打とうとする。大きい方はすっとかわして胴を狙う。が、面打ちはフェイントで、ねらいは小手。一撃！
審判（千葉重太郎）「それまで！」
大きい方の剣士、面を取る。龍馬である。
N「坂本龍馬、19才。剣術修行のために江戸に出てきた龍馬は、神田お玉が池の千葉道場に入門しました」
小さい方の剣士、面を取る。佐那子である。
N「定吉の娘、佐那子。美人で、男勝りの気性と腕前の持ち主でした」
重太郎のアップ。
N「その兄、重太郎」
佐那子「小栗流目録という話でしたから、もう少しは腕が立つと思っていたのですが……」
龍馬「いやあ、佐那子さんが強いんじゃきに」
と、佐那子はきっと龍馬を睨みつけ、
佐那子「おなごに一本取られて、それでもへらへら笑っているとは、そなたはそれでも武士ですか！」
龍馬、頭をかきながら、
龍馬「いやあ、弱い者が強い者に負けるのは当然じゃ。わしはまだまだ弱い。強くなりたいきに、ここに入門したがじゃ。よろしく鍛えて欲しいきに」
佐那子、呆れながらも何か言おうとする。と、
瓦版売り「黒船じゃ、黒船が来たぞ！」
その声に惹かれたかのように飛び出して行く龍馬。
佐那子「龍馬さん、まだ話は……！」

・江戸市中を走る龍馬
手には瓦版。
龍馬「（内心）異人の黒船か。どれほどの物か、一つ確かめちゃろうかいや。攻め込んで来ようちゅうなら、逆に斬り込んじゃる。わしがもう洟垂れのよばれたれじゃないっちゅうことを見せる、ええ機会じゃ」

・浦賀
N「ペリー艦隊が最初に目撃されたのは、嘉永6年6月3日の午後のことでした。その頃龍馬は――」
沖合に停泊しているペリー艦隊が遠目に見える。それを眺めている龍馬。
刀を抜いて、ペリー艦隊に向かって構える龍馬。しばらく睨みつけていたが、急にふっと力を抜いて構えを解く。
龍馬、頭をぼりぼりとかいて、
龍馬「……あほくさ。こらかなわんわ」
どっかとあぐらをかき、ペリー艦隊を見つめる龍馬。


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